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池田久美子 決勝進出ならず

世界陸上:走り幅跳び 池田久美子決勝進出ならず

世界陸上選手権大阪大会 第3日。
8/27日 第1部の予選6種目がスタート。
女子走り幅跳びで3大会ぶりの決勝進出を狙う池田久美子
結果は6m42と奮わず決勝に進出できなかった。
(出場29人中の25位)

最後の3回目を跳び終える。
池田久美子は笑顔を作って観客に手を振る。
だがいつもの輝く笑顔はない。
メダルと7mを狙って今大会に挑んだが予選で力を出し切れず敗退。
「自信はあったがこれが力のなさ。悔いが残ります」と涙をぬぐう。

好調でこの日を迎えた池田久美子。
助走距離を普段より80cm伸ばした。
1回目、最適のタイミングで踏み切れず6m39。
2回目以降も「暑さのせいか体がだるくて集中して修正できなかった」と。
3回目。6m42が精いっぱい。
池田久美子の鋭い踏み切りや空中で伸び上がる持ち味は影を潜めた。

昨年 6m86の日本記録を跳びアジア大会も制覇。
今年はあと14センチに迫った大台達成を自分に課していた。
自分に重圧をかけて苦しみながらのシーズン。
無念ながらのぞむ結果は得られなかった。
力を証明する機会は北京五輪に持ち越しに。

池田 久美子

池田 久美子 東洋の真珠

出場種目
走り幅跳び

2006 専門誌の選ぶ
アスリート・オブ・ザ・イヤー・ジャパン
に輝く活躍を見せる。

・大阪GP女子走幅跳で日本新記録(6m86)
・ヨーロッパ遠征で6m75の国外日本人最高
・ドーハ・アジア大会金メダル(6m81)

今季も大阪GP、ドーハSGPと6m70台で連勝。
ドーハでは06年世界リスト1位(7m12)のタチアナ・コトワ(ロシア)に快勝。
一般種目女子選手初のメダル獲得の期待が高まっている。

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池田久美子
かつて天才少女と謳われた。

幼少時から父・実さん(故人)の手ほどきもあり、
走ったり跳んだりすることにその才能の片鱗を見せ付けた。
全国小学生大会の走幅跳に優勝。
全日本中学選手権 3連勝。
中学2年時に6mジャンパーの仲間入り。
3年時には6m19。
これは今も残る中学記録。

高校では体重が増え低迷。
お菓子の無茶食い。
バーンアウト

2年時に父がコーチを務める高校に転校。
競技に集中するがインターハイは3年間勝てずじまい。

福島大入学。
同時にコーチは川本和久氏にバトンタッチ。
助走スピードのアップから取り組み直し。
禁 チョコレート」で体重を戻し、空中フォームもシザースに変更。
2年時に中学時代の記録を更新すると
世界ジュニア選手権ではジュニア日本記録(当時)で銅メダルを獲得。

3年時の2001年。
日本選手権で6m78の学生新をマーク。
エドモントン世界選手権 決勝進出。

2006年に日本記録を更新。
今季はさらに助走スピードのアップを実感しているという。

かつての天才少女。
経験と努力を1つ1つ重ねて今日にいたる。

7mは小さい頃から父の実さんと夢見ていた数字。

その実現に一歩づつ近づいている

池田久美子 日本走り幅跳びの女王A

池田久美子 日本走り幅跳びの女王A

小学生時代、日清食品主催の全国大会。
後に2003年パリ世界選手権で銅メダルを獲得する同い年の
末續慎吾(ミズノ)に記録で勝ってしまう。
これにショックを受けた末續は走り幅跳びをやめてしまう。


パリ世界選手権での末続の200m銅メダル獲得には感涙したとか。

愛称は「イケクミ」。
色はピンクが大好きで子供好きでも知られる。
趣味は部屋の掃除なんだとか。

1940年の東京オリンピック(第二次世界大戦で中止となった)
陸上競技男子110mH代表候補の池田彌は祖父。
元仙台育英高等学校陸上競技部コーチ池田実は実父。

池田久美子のルックスと高い実力から
日本陸上界の中でも高い人気を誇る。
2007年3月30日のプロ野球開幕ゲーム 中日対ヤクルト戦
(ナゴヤドーム)で始球式をつとめた。

★池田久美子の画像/動画はコチラ

池田久美子 日本走り幅跳びの女王@

池田久美子 日本走り幅跳びの女王@

池田久美子(いけだ くみこ
山形県酒田市出身。
女子走り幅跳びの日本記録保持者(6メートル86)。
100メートルハードル、走り幅跳びの
・日本中学記録(13秒78、6メートル19)
・日本学生記録(13秒38、6メートル78)
100メートルジュニアハードル日本中学記録(13秒78)も持つ。

身長166cm 体重53kg 血液型B型
酒田市立酒田第三中学校 - 仙台育英高校 - 福島大学卒
スズキ陸上部所属。

小学校2年生から陸上を始める。
小学校5年生で走り幅跳び4m46をマーク。
6年生では5m18を記録、「驚異の天才少女」として注目を集める。

酒田市立酒田第三中学校進学後も活躍を続け、
1年生で(12歳年齢別世界記録となる)5m97をマーク、
全国中学校体育大会陸上競技女子共通走り幅跳びでも優勝。
発育差の大きい中学生の大会において1年生が優勝することは希少。
この後、走り幅跳びで3連覇を達成。
加えて、3年生の時には
・走り幅跳び
・100メートルハードル、
・100メートルジュニアハードル
の3種目で日本中学記録を樹立する


日本大学山形高等学校進学後。
走り幅跳びで高校1年の年に行われたアトランタオリンピックの
参加標準記録を目指すも、慣れない下宿生活などで調子を崩し、
その年のベスト記録は5メートル85と前年より30センチ以上も落ち込んでしまう。
父親が仙台育英高校のコーチに就任したのを機に同校に転校。
再起を図るが、結局一度もインターハイを制することはかなわず。
高校最後の全国大会である国民体育大会こそ優勝したが、
高校3年間のベスト記録は6メートル14にとどまり、
またハードルのほうでも中学時代の記録を更新することはなかった。

高校卒業後は福島大学に進学して競技を続ける。
父親から託された川本和久監督のもと、
大学2年から技術面の改良に着手。
それまでの踏み切りと同時に両脚を前方へ投げ出す「かがみ跳びから
「シザース」(空中で脚を回転させる跳躍技術)への移行をトライ。
また、体質改善にも積極的に取り組む。
好物のチョコレートを断ち、野菜中心の食生活に切り替えて
7kgの減量に成功。
これが功を奏し、
その秋の日本インカレで6メートル29を跳び優勝する。
(5年ぶりに自己記録更新)
日本ジュニア選手権では6m46)の好記録で優勝。
その年チリ・サンディエゴで行われた世界ジュニア選手権に出場。
100メートルハードルで5年ぶりに自己記録更新、
走り幅跳びでは6メートル43の日本ジュニア記録をマーク、
銅メダルを獲得。

日本選手権では、従来の日本記録(6メートル61)を大幅に上回る
6メートル78の跳躍。
しかし花岡麻帆が同大会で6メートル82を跳び、
日本記録保持者にはなれなかった。
この後も、池田と花岡は世界大会代表がかかった日本選手権で
数センチ差の接戦を何度も見せていく。
同年の世界陸上選手権(エドモントン大会)代表に選出され出場。
予選を通過し11位に入る(長距離以外の女子選手が世界大会の決勝に進むことは希少)。
またユニバーシアードでは銅メダル獲得。


2003年 パリ世界選手権に出場。
2004年 世界室内選手権に出場。
アテネオリンピックには残念ながら出場できず。
2005年 日本選手権で花岡を押さえて優勝。ヘルシンキ世界選手権に出場。
マカオで行われた東アジア競技大会では見事に優勝を果たす。

2006年 左太もも裏肉離れのためモスクワ世界室内選手権を欠場。
しかし5月に静岡国際陸上でシーズン初戦ながら
2007年世界陸上選手権参加標準記録A(6m70)突破となる
6m75の大会新記録で優勝。
IAAFグランプリ大阪大会では6m86の日本新記録
(2005年世界ランキング6位相当)を樹立。
並み居る世界の強豪たちを抑えて優勝。
これにより池田本人も目標としてきた
日本女子初の7mジャンプ

現実味を帯びてきている。

2006年ドーハ・アジア大会に出場。
6m81を記録。アジア大会のこの競技で日本人36年ぶりの金メダルを獲得。

2007年 織田幹雄記念国際陸上競技大会。
100m障害で日本歴代2位となる13秒02をマーク。


以上を見ても稀に見る女性アスリートであることがうかがえる。

★池田久美子の画像/動画はコチラ

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